灯りを消したあとで14 / 17

第十三章返さなくていいもの

修司に会う約束は、二月の土曜日にした。

約束をする前に、航は水原へ、顧客への訂正がどこまで届いたか確かめていた。修司が十二拠点で説明した仕組みの原因報告を、航が止めたと知らせるためだった。担当した人の確認不足という話へ変わらないよう、報告を止めた代表の名を残した。

西尾から、経緯書と現場で共有した説明の訂正を照合したと返事が来た。月次の確認で新しく分かったことは、岡野からも直接知らせる。その決め方を、航は修司にも送った。会って許してもらうことを、顧客へ伝える条件にはしなかった。

航は会社へ来てほしいと言わなかった。修司が指定した駅の、改札の外で待った。

先に来た修司は、小さな紙袋を持っていた。

「工具、一本混ざってた」

会社の刻印のあるドライバーだった。

航は受け取り、すぐには鞄へ入れなかった。

喫茶店は混んでいた。向かい合わせではなく、窓に沿った席へ並んで座った。

修司はコーヒーに砂糖を入れた。前は入れなかった。

航はそれだけのことで、この二か月を知らないのだと思った。

「あのとき言ったことを、謝りたい」

修司はカップから手を離した。

「辞めるって言われて、お前がここでしたことまで、なかったことにした。俺が困る終わり方を選んだから」

言葉は、家で何度も考えてきたものだった。

途中で、用意した順番が分からなくなった。

「お前は、ここを作りたかった。俺、知ってたんだ」

窓の外で、バスが止まった。

修司は何も言わなかった。

「知ってて、言った。ごめん」

続けて、十月の不具合を隠した件を話した。修司は年明けに岡野から経緯を聞いていた。移行を急ぎたい気持ちは自分にもあったが、顧客へ何を隠すかを航と決めた覚えはない、と言った。

「俺が現場へ行って、あの仕組みで大丈夫ですって言ったんだぞ」

航は頷いた。

「年明けに原因を聞いたとき、俺が説明した人の顔、順番に思い出したよ。辞めたから知らないで済む話じゃない。でも、知らされてないことを、知ってたようには言えない」

修司は紙袋の端を指で折り、また伸ばした。

工場の保守を始めたばかりだった。新しい客へ、今まで何をしてきたか説明した。百舎の十二拠点も、その実績だった。隠した事情を聞いたあと、自分が正しく説明できる部分と、自分が知らないまま話した部分を分けて考え直したという。

「俺が作ったものは、役に立ったと思ってる。お前が報告を出さなかったことを、その仕事の成果に混ぜないでくれ」

「混ぜない。訂正にも、俺が止めたと書いた」

航は送った文書の写しを出した。提出日と、現場で訂正を確認した日があった。修司は技術の原因より、誰がいつ報告を止めたかを読んだ。

二月の喫茶店の窓沿いに並ぶ航と修司。航が顧客への訂正と照合日の写しを出し、修司が代表がいつ報告を止めたかを読む。砂糖入りのコーヒー、握手なし。
自分の仕事を説明するための写し。

「これを渡したから、あのとき俺が言った大丈夫ですまで、正しくなるわけじゃないからな」

航は頷いた。

修司は紙を自分の鞄へ入れた。次に説明を求められたとき、自分の推測ではなく日付のある文書を示せる。そのために持っていくものだった。

「報告を止めたことは、俺にも言わなかったんだな」

「止められると思った」

修司は返されたドライバーの袋を見た。

「止めるよ。そういうときは」

ようやくそこまで言えた。

修司は長く黙っていた。冷め始めたコーヒーをひと口飲んだ。

「俺も、途中で何回か、言えばよかったと思ってる」

「いや、お前は」

「俺の話だから、聞けよ」

航は口を閉じた。

「十二拠点、面白かったんだ。大変でも、航とならやれると思った。澪にも頼んだし、岡野にも無茶させた。あとから全部お前のせいにはできない」

修司は、指で紙のコースターを少し回した。

「でも、出ていったら、あの四年まで嘘になるとは思わなかった」

航は頷いた。

謝罪が届いたか、聞きたかった。

聞けば、修司に返事をさせることになるので、聞かなかった。

「一緒には、もう働かない」

混んだ喫茶店の窓に沿った席で、航と修司が横に並んで座る。修司の前には砂糖を入れたコーヒーがあり、航は話を聞いている。
窓に沿った席で、謝罪のあとも話は続く。

「訓練所と、工場の仕事が始まってる。百舎の空いたところを埋めるために、そこを空けたくない」

修司は言った。

航は戻ってもらう条件を、一つも出さなかった。役職を変えれば、給与を守れば、週に一度でも来てもらえれば。用意していた案はあった。出せば修司は、今の仕事を選んだ理由をもう一度説明しなければならない。

修司が今の仕事を空けないと伝えた後、航が考えてきた復職案を鞄から出さず、視線を下げて受け止める。修司は隣の席で待つ。現在の境界を尊重する静かな二人。
もう一度、説明させなかった。

「分かった」

航はその返事をしてから、しばらく顔を上げられなかった。

航はもう一度、頷いた。

体の中で何かが、小さく沈んだ。

分かっていたつもりでも、つもりでしかなかった。

沈黙のあと、航は訓練所の仕事を尋ねた。

駅前の喫茶店で、水のコップを持つ航と、砂糖を入れたコーヒーの前に座る修司が、向かい合って話す。
喫茶の席で、向かい合う。

修司は、難しい、と答えた。

何度教えても間違える人がいる。自分がやれば五分で終わる作業を、四十分待つ。待ったからといって、その日にできるようになるとは限らない。

「腹、立たないのか」

「立つよ。立つから、外で水飲んでくる」

修司は少し笑った。

航も笑った。

「前は帰っても、明日の客のことばっかり考えてた。今は、今日できなかった人が次にどうするか考える。考えるのは同じなんだけど、夜に呼ばれる前提じゃなくなった」

修司は来週の実習の話をした。仕事を減らしたから楽なだけではない。収入に合わせて買わないものを決め、工場へ行く日を自分で調整する。それでも、自分が引き受けた仕事で一週間を作れることが気に入っている、と言った。

二月の喫茶店で修司が自分の手帳を開き、来週の実習と工場の保守の日を航へ話す。現在の自分の仕事で一週間を組む本人の落ち着いた姿。窓沿いの二席、砂糖入りのコーヒー、復職の誘いでも握手でもない。
自分が引き受けた一週間。

昔のような笑い方ではなかった。笑ったあとに、何を話していいか迷う時間があった。

帰り際、航は湯呑みのことを思い出した。

「あれ、まだ使ってる?」

「青いの? 使ってる。向こうで」

「そうか」

「縁が欠けたから、そこに口が当たらないように回して」

航は、新しいものを買えばいい、と言いそうになった。

言わなかった。

修司の電車が先だった。改札の向こうで、紙袋を持っていた手を一度上げた。

航は見送った。

返された工具の紙袋を持つ航が、改札の向こうで手を上げる修司を見送る。
戻ってくる人を見るのとは違う見送り方。

戻ってくる人を見るのとは違う見送り方を、まだ、うまくできなかった。

帰りの電車で、返されたドライバーを鞄の底へしまった。

湯呑みの領収書は、会社の古い帳面に挟んだままだった。

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目次

HAPPY · 灯りを消したあとで

  1. 01序章|百円の領収書
  2. 02第一章|折って持ち帰れる地図
  3. 03第二章|届かないもの
  4. 04第三章|七分の使い道
  5. 05第四章|知らない人の名前
  6. 06第五章|よい知らせばかりの日
  7. 07第六章|ここでなくても
  8. 08第七章|待っている人
  9. 09第八章|十一月三十日
  10. 10第九章|あの夜を消す
  11. 11第十章|乾杯のあと
  12. 12第十一章|何も起きない夜
  13. 13第十二章|署名する手
  14. 14第十三章|返さなくていいもの
  15. 15第十四章|一人分の夕飯
  16. 16第十五章|冬の海を聞く
  17. 17終章|灯りを消したあとで
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