灯りを消したあとで04 / 17

第三章七分の使い道

四月、「環」の契約後、百舎は三拠点から注文や出荷に使う紙を集め、担当者に使い方を聞いて、試すための画面を作り始めた。同じ行き先でも略し方が違い、箱の数を書く場所も違う。修司が情報を受け渡す部分を組み、澪が画面と手順を並べて確かめた。

着手金と黒崎からの三百万円を受け取り、最初の資金不足をつないだ。取引先への支払日の相談は、全部が望みどおりになったわけではない。理恵は返事の来た日付を表へ入れ直し、どの週にいくら足りないかを航と見た。「環」を作るあいだも、その確認は続けなければならなかった。

六月、最初に現地で試す拠点は、川沿いの倉庫だった。航たちは、先に聞いた説明と試作した画面を持って、実際の作業を見に行った。

雨が続いていた。修司は入口で長靴を借りたが、片方だけ一つ上のサイズだった。歩くたびに、右足が遅れてついてきた。

澪は笑いをこらえていた。

「いいよ、笑って。これは俺もおかしい」

休憩室で、事務員が古い配送表を見せた。朝に印刷し、変更があるたび赤いボールペンで直す。新しい仕組みでも、最後は紙で確認できなければ困るという。

澪は、机に積まれた紙の順番を聞いた。

何を上へ置くのか。誰へ渡すのか。渡したあと、どこへしまうのか。

配送拠点の休憩室で、澪が事務員から配送表の使い方を聞く。赤い書込みと折り目のある紙を机へ並べ、修司は試作画面のそばに立ち、航も作業を見ている。
画面を直す前に、紙が誰の手へ渡るかを聞く。

昼過ぎには、航が用意した説明の半分が要らなくなっていた。人は画面だけを使っているのではなかった。

新しい情報が届いても、古い紙を持っている人がいたら、その人は前の指示で動いてしまう。画面を分かりやすくするだけでなく、どの時点で印刷し直し、誰に渡すかまで、現場の人と決め直す必要があった。持ってきた試作をそのまま使い始めることにはせず、澪は直す箇所を手帳へ書いた。

帰りの車で、澪は手帳を広げたまま眠った。修司は信号待ちの間に、落ちかけていたペンを取った。

倉庫からの帰りの車。後席の澪が手帳を広げたまま眠り、停車中に助手席の修司が落ちかけたペンを取る。航は運転席で前を見ている。
調べたことを持ち帰る。

「いい仕事するようになったな」

「うん」

航は、嬉しさを隠さなかった。

「もっと任せられる」

「任せるときは、横から手を出すなよ」

「出してないだろ」

修司が助手席から、航の鞄に入った赤ペンを指した。

「予備まで持ってる」

修司はこのころ、月に一度、知人の職業訓練所で実習を手伝っていた。皆の前で工具の使い方を説明したつもりでも、席を回ると、隣で一緒にやった一人しか手を動かせていない、と言っていた。航は、一人ずつでもできるようになるならいいじゃないかと答えた。修司は少し考え、そうだな、と笑った。

七月に岡野蓮が入った。二十九歳で、大きな開発会社から来た。小さな会社なら、仕組みを最初から最後まで見られると考えたらしい。

百舎では、修司が画面の手直しと現地での確認の両方を抱えていた。三拠点を正式に動かすまでに作業を分けるため、技術担当を採ったのだった。春には航、修司、澪、理恵の四人だった職場が、五人になった。

履歴書の志望動機よりも、面接のときの質問が航の記憶に残った。

「ここで仕事を覚えたら、どういうところへ行けますか」

修司は面白がった。航は一瞬戸惑ってから、どこへでも、と答えた。

その言葉を岡野は信用した。

七月の三拠点では、古い方法で出した結果と新しい仕組みの結果を比べながら、一部の作業を試していた。まだ全てを切り替えたわけではない。出荷を間違えずに進められるか、直すべき箇所は残っていないかを、先方と百舎の双方で確かめる期間だった。

岡野は現場から届く修正に対応しながら、百舎の中で繰り返している作業も洗い出した。各拠点から来る試用結果と配送表の見本を、比較できる同じ形へ整理する作業。問い合わせへの返事の下書き。確認表へ同じ項目を二度入力する作業。

理恵も、その確認表を使って、終わった作業と残る作業をまとめていた。試用の結果によって手直しの日数が増えれば、稼働までに必要な人件費も変わる。客の配送事務を代行しているのではなく、百舎が納品までの仕事を管理するための表だった。

AIも使った。澪が試しの画面に丸い顔を描き、百円ちゃんと呼んだ。百円で何でもやってくれそうだ、という修司の悪い冗談が元だった。

航、修司、澪が現場の紙をそばに置き、AIを使った試作画面を一緒に確かめる。
浮いた時間は、人が使い道を決める。

実際には、確認する人が要った。似た取引先の名前を取り違えることがあり、岡野はそういう欄を機械に確定させなかった。

木曜の午後、理恵が、整理した見本と元の表を照合し終えて時計を見た。

「七分」

「遅れました?」

「早いの。一枚で七分。十枚ある」

岡野は照れて、まだ直したいところがあると言った。

その日は四時半に一区切りついた。予定した仕事を終えた人は退勤してよいと、朝の打ち合わせで決めていた。理恵は勤務の記録をつけ、息子の靴を買うと言って帰った。足が急に大きくなり、朝、かかとを踏んで出ていったという。

七月の夕方、勤務記録を終えた理恵が鞄を持って会社を出る。壁の時計と消した机の灯り、通常の小さな事務所。息子の靴を買いに行ける時間。
七十分は、帰る時間になった。

澪も退勤を記録してから、空いている作業机を一時間借りていいかと航に聞いた。自宅の机より広い。許可を得て私物の紙を広げ、真帆から紹介してもらった資料館の人に、立体地図を送る準備を始めた。真帆は修復した本を納めた縁で、その人を知っていた。航は横から、湾の形を覗いた。

「この先、何を作るの」

「潮の満ちるところが分かるものです。見ても、触っても、音を聞いても、違うことが分かるように」

「難しそうだ」

「そこが面白いんです」

航は、いいな、と思った。

机の上には百舎の納品物ではないものがある。会社で得た時間を使い、澪が自分のものを作っている。それこそ、ここを始めた理由ではなかったか。

その夕方、航も早く帰った。

真帆は、流し台で刷毛を洗っていた。航を見ると、時計を見て、それから笑った。

「卵があるよ」

航は久しぶりにオムレツを作った。裏を焦がしたので、そちらを下にして出した。

真帆はひと口食べ、焦げている、と言った。

「分かるか」

「分かるよ」

二人で焦げたところを切り分けた。

何か大きな話をしたわけではない。真帆は古い紙に棲む虫の話をし、航は左右の違う長靴の話をした。

食べ終わるころ、航の携帯電話が鳴った。

黒崎だった。

航は皿を流しへ運んでから電話に出た。

黒崎は、三拠点の試用で、打ち直しが減ったと聞いている、と言った。正式な切り替えは八月だが、発注元は、ほかの拠点にも使えるかを考え始めている。次の相談を早めたいという話だった。

食事を終え、皿を片付けてから仕事の電話に出る。その順番を守れたことを、当時の航は、たいしたことだとは思わなかった。

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目次

HAPPY · 灯りを消したあとで

  1. 01序章|百円の領収書
  2. 02第一章|折って持ち帰れる地図
  3. 03第二章|届かないもの
  4. 04第三章|七分の使い道
  5. 05第四章|知らない人の名前
  6. 06第五章|よい知らせばかりの日
  7. 07第六章|ここでなくても
  8. 08第七章|待っている人
  9. 09第八章|十一月三十日
  10. 10第九章|あの夜を消す
  11. 11第十章|乾杯のあと
  12. 12第十一章|何も起きない夜
  13. 13第十二章|署名する手
  14. 14第十三章|返さなくていいもの
  15. 15第十四章|一人分の夕飯
  16. 16第十五章|冬の海を聞く
  17. 17終章|灯りを消したあとで
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