第十章乾杯のあと
十二月、追加の九拠点も正式に動き始め、発注元と導入の確認を終えた。これで「環」を使う現場は十二拠点になった。稼働後の様子を見る訪問は残っていたが、新しい仕組みで日々の出荷を進める段階には入っていた。
その仕事を祝う会には、十二人が集まった。
社員だけでなく、外で手伝ってくれた人と、顧客の担当者も来た。店の長い机には、人数分のグラスが並んだ。
航は、椅子が一つ余っているような気がした。

数えると、余っていなかった。
澪の分は、最初から予約していない。修司は、稼働後の確認で最後の一拠点を訪ねてから来ることになっていた。
黒崎が立って、百舎の仕事を褒めた。
最初に三拠点。その後十二拠点。前の拠点から届いた行き先と数量を、そのまま次の拠点で使えるようになった。表を一から打ち直したり、変更の電話を待ったりする時間が減った。予定された範囲を納めたという報告にも、現場が助かったという声にも、架空の成果は一つもなかった。
西尾からの問い合わせは、まだ閉じていなかった。今夜の完成報告に書かれなかった十月の一件を、航だけがグラスの向こうに置いていた。
小池は、自分が担当した箇所の話になると、隣の阿部の腕をつついた。阿部は、うん、うん、と大きく頷いた。
二人とも、春の危機を知らなかった。
ここは彼らにとって、初めて自分の仕事が客の前で褒められた会社だった。
航はそれを嬉しいと思った。
同時に、今夜そのことを修司と話せないのが寂しかった。
航の挨拶の番になった。
礼を言い、苦労を話し、来年の計画に触れた。
「ここなら、みんなが自分の居場所を持てる。そういう会社にしていきたいと思っています」
拍手が起こった。
小池はまっすぐ拍手をした。
航は、その信頼を受け取るのが怖かった。

店を出たとき、修司から連絡があった。現場の確認が延びた。終わったが、今日は帰る。
お疲れ、と打った。
続けて、今度ゆっくり、と打ち、消した。
黒崎が隣に来た。

「少し歩くか」
駅までの道で、全国展開の話をした。
発注元は、地方の十二拠点で使い始めた「環」を、全国の拠点でも使いたいと考えていた。そのたびに一から作り直すのでなく、共通で使う部分を整えて、全国の情報をつなぐ。百舎の仕事は、その土台にしたいと言われるほど評価されていた。
九拠点を追加したときは、百舎がいまいる人に二人を加え、自分たちで現地へ通った。次は同じやり方で回れる数ではない。黒崎の会社が各地の導入担当や専門の技術者を集め、発注元と工程ごとの前払いを交渉する。百舎は仕組みの設計と導入を担い、航には、その責任者として三年残ってほしいという提案だった。新しく株を買ってもらう話とは別で、黒崎がいま持つ二割はそのまま残る。
各地の要望をどこまで共通の仕組みに入れるか。新たな導入と、既に動いている拠点の手直しを、どの順番で進めるか。現場を回る人数が増えても、その判断はなくならない。航は各地の担当者と計画を決め、人を配置し、発注元と変更を話し合い続けることになる。
一方で、採用や開発の費用を、次の入金まで百舎だけで抱えなくて済む。岡野が手をつけたがっていた共通部分の作り直しにも、人と時間を割ける。現場から頼まれるたびに小さく直してきた仕事を、十分な体制で作り育てられる話でもあった。
「資金のことだけ考えれば、今よりずっと楽になる」
黒崎はそう言った。航にも、それは分かった。
「修司が辞めるんです」
黒崎に話すのは、初めてだった。
黒崎は、そうか、と答えた。
「成瀬さんもだったな」
「二人がいて、ここまで来たので」
「ここまで来たから、二人にも次があるんだろう」
航は立ち止まった。
黒崎にそのことを言われると思っていなかった。
「それでも会社は続く。君の責任も続く。立ち止まっていたら、今いる人間まで困る」
黒崎は自分の携帯電話を見た。着信はなかった。時刻を確かめただけだった。
「私も、最初の相棒は残らなかった」
「後悔してますか」
黒崎はしばらく考えた。
「しても給料は払えん」
答えになっていなかった。
だが、航はその答えに助けられたくなった。
全国へ進めば、いままで払ったものが大きな仕事のための代償になる。二人を失ったのも、孤独になったのも、そこへたどり着くために必要だったと言える。

そう考えると、歩き出せた。
駅の前で、黒崎は契約案を送ると言った。
「君ならできる」
航は、その言葉を欲しかった。
欲しいということが、もう、少し恐ろしかった。