灯りを消したあとで08 / 17

第七章待っている人

十月、追加九拠点の移行は、一か所ずつ進んでいた。これから入れる場所を修司たちが見に行く一方で、切り替えを済ませた拠点からは、使い方の問い合わせが届く。ある晩、新たに動かした二か所からの連絡が重なった。

岡野は、次の便を出す前に確かめなければならないものを優先し、翌朝で済むものを分けていた。修司と交代で連絡を見て、実際に止まっている仕事があるかを確認した。

航は帰宅してからその一覧を開いた。「明日の配送表に、今日直した数量が反映されますか」という質問が残っていた。岡野が朝に返すつもりで分けていたものへ、航はその夜のうちに返事をした。

朝、岡野が言った。

「社長が夜に返すと、次も夜に来ます」

「困ってるんだから、今だけは仕方ないだろう」

「今だけの終わりを、先方は知らないです」

航は、言い方が強いと思った。

その朝、岡野は画面の表示を直した。更新した時刻が見つけにくく、変更が保存されたかを使う人が判断できなかったのだ。新しい表示を説明し、配送表に反映されるところを先方と確かめた。出荷が始まる前に済む確認で、航が返した一件は、朝まで待てたものだった。

十月の第二週、その数量の確認から、別の不具合が見つかった。二つの拠点が同じ荷物を続けて修正すると、後から直した数量が配送表へ渡らないことがあった。画面には新しい数があるのに、印刷すると古い数へ戻る。毎回起こるわけではなく、七月の試用では見つけられなかった。

岡野は再現する手順と修正案を用意し、航へ見せた。まず顧客に伝え、直すまで該当する荷物を元の伝票と照合してもらう必要があった。人が確認すれば避けられるが、その人に理由を知らせなければならない。

岡野が画面と配送表の数量の食い違いを示し、航へ不具合の報告書を渡す。
直し方は分かった。知らせ方が残った。

「いま切り替えを止めると、今月の検収はどうなる」

航が尋ねると、岡野は、そこは先方と相談です、と答えた。

追加九拠点のうち、その月に切り替える分の入金を、隣室の費用と二人の給与に充てる予定だった。延期になれば、黒崎にまた金を借りる話が近づく。

岡野は、暫定の照合を続けたまま検収できるか、先方に聞くことはできると言った。できると約束はしなかった。直す期間と、その間に先方が使う人手を見て決めることだった。

航は受注時の支払い表へ、入金が一週間遅れる場合を書いた。そこに金を移すと、来月初めに足りない欄ができた。黒崎へ相談すれば、給与を払える道は残る。四月と同じで、自分が借りる金と、知らされない人の確認を比べていた。

十月、航が入金を一週間後へ動かした資金表を確かめる。借入の連絡先を開いた電話と、原因を知らせる報告が脇にある。経営の計算と未送信の正道を同じ机に置く。
まだ、借りて伝える道があった。

現場へ原因を伝える報告の下書きには、修正されるまで元伝票との照合が必要、と書かれていた。自分が出せば、誰かが手を止めて二つを比べる。面倒でも、間違いの出る仕組みをそのまま信じるよりよかった。

航はその欄を読んだ。いま気づいて直せる。それは顧客にとって良い知らせのはずだった。悪い知らせにするのは、出荷を任せられると言った自分の顔のほうだった。

航は黒崎へ電話した。技術的な直し方ではなく、顧客への報告の仕方を相談した。

「直せるなら、定期の更新で直せばいい。現場には入力後の確認を徹底してくれと伝える。わざわざ事故の名前を付ける必要があるか」

「入力は、間違っていないんです」

「だったら、次から間違った結果が出ないようにすればいい」

翌朝、岡野が持ってきた報告の表題は、不具合の発生と暫定対応について、だった。航はそのファイルを閉じ、自分の文面を開いた。運用開始時の確認のお願い。仕組みの欠陥には触れていなかった。

岡野は読み終わっても立たなかった。

「これでは、向こうが使い方を間違えたみたいです」

「今週中に直す。先に大きな話にすると、現場も混乱する」

修司は別の拠点に出ていた。もう一度相談すれば、あいつは止めるだろうと思った。そのことまで分かったうえで、航は自分の名前を文末へ入れた。

送る直前、岡野が、原因の欄だけでも戻してください、と言った。

航は元の報告をもう一度開いた。原因を戻せば、確認依頼は短くても、誰が間違った結果を出したのかが伝わる。借入の話も、補償の話も、避けられるとは限らない。

夜の事務所で航が確認のメールを開き、キーボードの上で手を止めている。周囲には引継ぎ資料が積まれている。
返事を出せるはずの手が、動かなかった。

「今回は、この文で出す」

修正済みと書くのはまだ早いと岡野が言い、航はその語だけ外した。正しく直せた小さな箇所で、これなら送れると思った。

二つの画面は、送信の直前にも並んでいた。原因を残す報告には送信先を入れなかった。航は確認のお願いを選び、自分の名で送った。

航が原因を残した報告と、原因を消した確認依頼の二つの画面を前にする。岡野は横で止めるよう求め、航の指が後者の送信へ動く。画面は読めない行と空欄だけ。
二つ並んだまま、選んで送った。

修正は翌日の夜に終わった。岡野は試験を終え、現場には更新の時刻と確認方法を説明した。原因と既に起きた影響については航から別に報告する、と航が先方にも岡野にも伝えていた。技術の変更記録には原因を残したが、航はその報告を出さなかった。入金も予定どおりだった。

出張から戻った修司にも、不具合と修正の内容は伝えた。顧客への報告はこちらで進めている、と航は付け加えた。修司は、対外的な説明を航が引き受け、技術は自分たちが確かめるいつもの分担だと受け取った。

通帳の数字を見て、航は初めて、春には選ばなかった方法で今月を越えたのだと知った。

四月と違って、守りたいものが増えていた。

その説明を、自分だけには何度もした。

*

更新が入る前、川沿いの拠点で、一つの配送先へ渡した箱が足りなくなった。

配送事務員の佐伯は、自分が入力した数を画面で確かめた。正しい数が残っていた。印刷した表だけが違っていた。もう一度数えたことも、変更した時刻も覚えていた。

川沿い配送拠点の佐伯が、入力画面と印刷した配送表を机に並べて確かめる。正しく入力した結果と紙が違い、背後は通常の配送事務室。航はいない。
画面には、確かめた数が残っていた。

「保存したつもりになっていたんじゃないか」

最初に聞かれたのは、その言葉だった。佐伯は違うと答えた。だが航から届いた確認のお願いには、入力後の確認を徹底してほしいとある。仕組みが、正しく入れた数を古い数へ戻すことは書かれていなかった。

足りない箱を運ぶ別便の準備に入り、佐伯も通常の仕事を続けた。出荷を遅らせた事情を書いてから帰るように言われたのは、夕方だった。

その夜は、友人と夕飯を食べる約束があった。店の予約を遅くしてもらえないか電話し、間に合わないと分かってから断った。友人は次にしようと言った。次の約束を決めるための気持ちは、そのとき残っていなかった。

夕方の配送事務室で佐伯が友人へ電話し、机に残る経緯書と時計を見る。友人は画面にも室内にも描かず、約束を取り消す一人の仕事の時間。
次の約束を決める気持ちは残らなかった。

経緯書の最初の文へ、数量は二度確認した、と書いた。表へ残った数が違う以上、確認が足りなかったのだと返された。

佐伯は画面をもう一度見せた。これだけでは、いつどの操作をしたか全部は分からない。会社へ調査を頼むとしても、今日は今日の経緯を出してほしいと言われた。

今後は確認を徹底します。

最後の欄へそう書くと、提出できた。確認したことを説明するために残った夜が、確認しなかった人の反省に変わった。

遅い配送事務室で、佐伯が経緯書の最後の欄をペンで埋める。自分の確認を説明するために残った夜、机の画面と提出する紙。怒鳴る上司や暴力は描かない。
説明の夜が、反省の紙になった。

家では、遅い食事を温める間も、その一文を思い出した。自分の説明に自信があったはずなのに、何を見たか、どこで間違えたかをもう一度頭の中で並べた。仕事の外でも同じ確認をしていることが嫌だった。

佐伯の普通の一人の台所。遅い食事を温める間、台の端へ手を置いて考え込む。鍋と器と時計だけ、家族や新しい不幸を追加しない。
仕事の外でも、同じ確認をした。

翌日も、佐伯は同じ席へ来た。配送表を出す前に、隣の人へ数字を見てもらうようになった。必要なことならする。けれど、次に自分が合っていると言っても、一人の判断としては聞いてもらえないのかと思った。

佐伯は主任の西尾へ、経緯書だけで終わらせず、画面と表の違いを会社に聞いてほしいと頼んだ。

「私が二度数えたことまで、なかったことにしないでください」

西尾は印刷した表を取っておくと答えた。翌日の更新では数字が一致した。その一致が、前の日の佐伯の確認を証明するわけではなかった。

*

航が通帳を見ていた週、佐伯は同じ仕事を続けていた。航の手元には、入金と、翌晩に終えた技術修正の記録があった。客先で別便を出した人が経緯書まで書いたことは、まだ知らなかった。

その週、真帆の講習が始まった。

土曜の朝、航は駅まで送ると約束した。金曜の夜に会社へ泊まり、気づいたときには彼女の電車は出ていた。

前夜、真帆は紙の包みと着替えを別々の袋へ入れた。駅へ送ってもらえるなら、雨に濡らしたくない箱も持っていけた。航から帰ると連絡が来ないので、寝る前に電話をした。留守番電話へ、出る時間をもう一度残した。

朝、自分でタクシーを呼ぶか、箱を置いていくか選んだ。講習へ持っていきたかった試料は写真だけにした。会社で必要なことがあるのだろうと思った。その理由が分かることと、自分の準備が変わることは別だった。

駅への道を一人で歩いた。先に出るね、と送り、電車へ乗った。今ここで怒りを長く書けば、講習が始まるまで携帯電話を見続けることになる。初めて習う仕事のほうを、今日の自分の予定に残したかった。

講習初日の朝、真帆が着替えの袋と電話を持って一人で駅へ向かう。持参を諦めた試料箱はなく、軽い荷物に替わっている。航は同行しない。
自分の講習を、今日に残した。

*

土曜、会社で目を覚ました航の携帯電話には、先に出るね、という短い連絡だけがあった。

日曜の夕方、航は早く帰った。

何か作ろうと思い、冷蔵庫を開けた。知らない保存容器が二つあった。日付と、真帆の名前が書いてあった。

「それ、火曜日のお昼」

真帆が洗濯物を取り込みながら言った。

航は蓋を閉じた。

「今日、飯どうする?」

「向こうで食べてきた。講習の人と」

「そうか」

台所には、航の分がなかった。

いつからそうなったのか、考えても分からなかった。自分が帰らない日が多かったのだから当然だった。だが、当然というだけでは片付かない気持ちがあった。

「言ってくれれば」

真帆は、畳んでいたシャツを置いた。

「水曜日に言ったよ。日曜は夕飯いらないって」

航は覚えていなかった。

真帆は鞄から包みを出した。古い紙を漉き直して作った、試験用の小さな紙片だった。光へ透かすと、細い繊維が見えた。

「これ、できたんだ」

航は、きれいだと言った。

真帆はもう少し説明しようとした。その途中で航の電話が鳴った。

彼は画面を見た。

見るだけだった。それでも真帆は話をやめた。

「出れば」

「いや、大丈夫」

「出たほうが、落ち着くんでしょう」

そのとおりだった。

航は、今月が終われば少し余裕ができると言った。

真帆は頷かなかった。

「来月の私も、今月の私と同じところで待ってると思ってる?」

「終われば、一緒にできることが増える」

航は言った。

「そのために、今は」

真帆は紙の包みの端を揃えた。

「昨日の電車は、もう出たよ。今、できた紙を見せてるんだよ」

声が詰まり、彼女はしばらく下を向いた。航は初めて、自分が話している来月の中には、昨日の彼女も、今夜の紙も入っていないと気づいた。

日曜の自宅で真帆が作った紙の包みを揃え、声を詰まらせて下を向く。航は隣で初めてその失われた日の重さを見る。泣き崩れる演出ではなく、言葉が止まる身体。
昨日の電車は、もう出た。

携帯電話は鳴りやんだ。

航は、もう一度紙を見せてもらおうとした。真帆は包み直しているところだった。

自宅の食卓で真帆が薄い紙片を包み直し、隣の航は携帯電話へ目を落としている。
紙の話を聞く途中で、視線だけが電話へ向かった。

「今日は疲れたから。またにする」

また、という言葉が残った。

自分はその言葉を、いくらでも使ってきた。

翌週、真帆は講習先で知り合った人から、工房の空いた机を半年借りる提案を受けた。月の半分を向こうで過ごす。いまの仕事を続けながら、古文書の修復を一件任せてもらえる。

彼女は、自分で条件を確かめ、自分で返事をした。

航には、決まってから知らせた。

怒る資格がないと思った。

そのあと、資格がなければ寂しがることもできないのかと考えた。

だが真帆に言えたのは、向こうの家賃はいくらなのか、ということだけだった。

真帆は、修復の仕事から少しずつ残した金で払うと答えた。三十五歳になって、ようやく自分で使い方を決められる机ができるのだという。

航は、会社へ少し回してもらえれば、と考えた。返せる日をまだ言えないことは、黙っていてもよい気がした。

真帆が家賃を書いた紙を畳んだ。百舎の表では見たことのない支払先が並んでいた。

航は、よかったな、と言った。金の話は頼まなかった。ただ、その金を自分の会社の都合で数えたことは、彼女に言わないまま残った。

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目次

HAPPY · 灯りを消したあとで

  1. 01序章|百円の領収書
  2. 02第一章|折って持ち帰れる地図
  3. 03第二章|届かないもの
  4. 04第三章|七分の使い道
  5. 05第四章|知らない人の名前
  6. 06第五章|よい知らせばかりの日
  7. 07第六章|ここでなくても
  8. 08第七章|待っている人
  9. 09第八章|十一月三十日
  10. 10第九章|あの夜を消す
  11. 11第十章|乾杯のあと
  12. 12第十一章|何も起きない夜
  13. 13第十二章|署名する手
  14. 14第十三章|返さなくていいもの
  15. 15第十四章|一人分の夕飯
  16. 16第十五章|冬の海を聞く
  17. 17終章|灯りを消したあとで
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