第十四章水曜の留守番
二月の終わり、黒崎から、水曜の商談は有村が出ると連絡が来た。
配送表の追加修正と、その使い方を説明する小さな仕事だった。百舎も制作するので、航が同席する。黒崎の会社が提示する条件は有村が担当し、百舎の作業と日数は航が答える。航が黒崎の代理になるわけではない。
有村は黒崎と、値引きできる上限を先に決めていた。それを超えれば翌日に返事をする。当日の客は、それ以上の値引きを求めた。
「社長さんに電話してもらえませんか」
有村は紙を閉じた。
「今日、私が決められるのはここまでです。明日の午前中に、別の組み方ができるか返します」
航は黒崎の番号を知っていた。一本かければ、今決まるように思えた。携帯電話へ手を伸ばしかけ、机の下へ戻した。
「では、明日の十時までに」
客は腕時計を見た。有村は翌朝の返事の時刻を紙へ書き、その場では契約を決めずに持ち帰った。

帰り道、有村は自動販売機で茶を買い、蓋を開ける前に息を吐いた。

「失注したら、嫌ですね」
「嫌ですね」
航も答えた。自分も何度かあったと先輩の話を始めそうになり、やめた。
翌朝、有村は確認と説明の訪問を一部同じ日にまとめる案を出した。百舎の予定も確かめ、減る旅費を見積りへ反映した。最初より小さい額で契約が決まった。
黒崎と会ったのは翌週だった。庭の木を切ろうと道具を借りたが、太すぎて人に頼むことにしたと話した。指に細い傷があった。
「有村のメールは見ていた。返事も書いた」
「送らなかったんですか」
「送れば、あいつが帰ってから説明する手間は省けた」
黒崎は笑わなかった。
「柳瀬にも、任せたつもりだった。客が不安そうなら私が引き取った。あいつが断ったものを、私ならできると言った。それで取れた仕事は本当にある」
航は黙って聞いた。
「この前、古い図面を届けた。謝ったら、どれを、と聞かれた」
黒崎はそこで紙をそろえた。
航は、やり直せますよとは言わなかった。柳瀬が戻りたがっているか知らない。黒崎が何を謝ったのかも、全部は聞いていない。
「考えてから、また連絡する。向こうが会うかは分からん」
そのあと黒崎は、全国の案ならもう借金をかなり減らせたと話した。庭へ出た一日で、長く使ってきた計算が変わるわけではなかった。
航は理恵とまとめた返済予定を出した。四月から初回分の元金返済を始める。五百万円はまだ残っているが、利息は期日に払い、次の給与と返済を並べてある。黒崎は一つずつ読んだ。
「株も、買うつもりか」
「いずれ。返済と、運転資金を残してからです」
黒崎は創業時の取り決めの写しを出した。二百万円へ利益に応じた額を加える。上限は四百万円。会社の借金が消えても、株が自動で航へ戻るわけではない。買い取れば、仕事の紹介まで保証されるわけでもない。
「私を追い出せば、営業の苦労まで消えると思うなよ」
「そこを、これから作ります」
航は答えた。
条件を満たす買い取りを黒崎が気分で断れる条項はなかった。写しを二人で照合し、今も同じ条件だと確かめた。黒崎がその場で値をつり上げなかったことへ礼を言いかけ、やめた。初めからの約束だった。
玄関で有村が電話していた。黒崎が立ち止まる。有村は気づいたが、電話を渡さなかった。
黒崎は歩き出した。
航はその半歩後ろから、今月の仕事の納期を話した。関係は続く。断ったことも、助けられたことも、同じ鞄に入っていた。