鍵を置く場所05 / 15

第五章誰かの残り時間

翌日の朝、航は皆へ謝った。

岡野は、謝罪が終わるのを待ってから言った。

「次は担当で決めます。出す版も、使うのを止めるかも」

「大きい問題なら、俺に」

「大きいか分からないときが、一番困るんです」

机には、二週間分の予定と、十月の資金表があった。修正と再訪問で利益は減り、検収の遅れで入金も遅れる。澪の引継ぎと新人の育成を予定どおり行うには、別の仕事を動かさなければならない。

航は自分が夜にやると言った。

理恵が眼鏡を上げた。

「夜に作ったものを、誰が朝に確認しますか」

また誰かの名前が要った。

修司は、俺もと続けなかった。三十八歳になっても疲れれば眠る。航は、駅のベンチから救った友人を、別の椅子へ移しただけにしたくなかった。

夜に自分が作るという航の案へ、理恵が朝の確認を誰がするのか尋ね、修司は黙っている。
また、誰かの名前が要る。

航は無料で引き受けていた新規客への説明会を断り、今月中に確約していない機能を提案から外した。相手はもっと早く知らせてほしかったと言った。その謝罪も航がした。

残した時間へ、澪が知っている現場の判断、小池の説明練習、阿部の設定確認を並べた。岡野は共通処理を直す日を二日求めた。

「今、目の前を片付けてからでは」

「ずっとそうして、同じところで止まってます」

航は二日を残した。

机へ二週間の予定表を並べた七人の前で、航が岡野の改善作業に残す時間を書き入れる。
必要な仕事を並べ直し、改善のための二日を残す。

二日のうちに、前から相談していた小さな受注の返事も必要だった。作れば間に合うが、作る人は同じだった。航は客へ、今回は引き受けられないと伝えた。

相手は、前にできそうだと聞いたから、こちらも社内で話した、と言った。まだ契約していないことを理由に、困らせていないとは答えられなかった。航はその説明を聞き、今月は難しいと明確にした。

来月なら必ず、と言いたくなった。代わりに、調べ直してから日程を出すと答えた。電話を終えると、受注表にあった候補を外した。岡野が改善を終えても、その客が戻る保証はなかった。

航は受注できると思っていた客へ断りの電話をし、候補を受注表から外す。
改善の二日には、失う受注もある。

修司は二日の予定を読み、これなら今夜は家で飯を食える、と言った。航はその言葉へ、少しぐらい夜に確認してくれればと思った自分を見つけた。休める形にすると決めた表を、本人の好意で穴埋めしたがっていた。

「明日の朝、今の版を一緒に見よう」

そう答えた。今日の夜を空けることは、明日の朝まで待つことでもあった。

その夕方、黒崎へ資金表を持っていった。黒崎は報告書の名前を読み、小池はまだ入ったばかりかと聞いた。

「慣れない担当が確認せずに出した、とすれば、社長の説明は通しやすい。配置を変えると書けば、先方も収まりがいい」

「確認を止めていたのは私です」

「担当者にも責任はあるだろう」

「あります。でも、私の分をそこへ入れるつもりはありません」

黒崎は紙を閉じた。

「会社を守れば、彼らの仕事も残る」

その言葉を聞くと、航は小池の弁当の蓋を思い出した。会社のために何を食べずに済ませたらいいのか、あの人はもう考え始めていたかもしれない。

黒崎は報告書の小池と阿部の名へ指を置いた。

「この二人が旧版を選んだ。そこは間違っていない」

「二人が、どちらの承認か聞いたことも残します」

「代表が答えていないと書けば、先方は君の確認体制を疑う。それでも二人を次の拠点へ出すのか」

航は自分の名のある欄を見た。ここを、担当者が確認せず持ち出したと変えれば、自分は現場へ来て直した人でいられる。若い二人には、次に気をつけようと教えるだけで済む。

会社を守るために二人の仕事を残す。その言い方をすれば、自分が二人へしたことまで親切に数えられそうだった。

「疑われるところが、実際にあるんです」

航は紙を自分の側へ戻した。

「旧版を選んだ事実も、二人の質問も、私の承認も残します。私の返事を変える是正を出します」

ペン先を置けば小さくできた一行を、消さなかった。黒崎の前で、その報告へ代表として署名した。

黒崎の前で、航が新人の質問と自分の承認を残した報告書へ署名する。
小さくできた一行を、消さない。

報告書は書き換えなかった。航自身が発注元へ経緯を説明し、再発を防ぐ変更を引き受ける。社員の名前を消すのでなく、起きた順番の中へ戻す。

黒崎は次に資金表を開き、二百万円の追加がなぜ必要か聞いた。

修正費用だけではない。入金を待つ間の給与、教える時間、約束済みの外注費。自分の役員報酬は生活費を確認した上で一時的に下げたが、社員の給料と既に働いた分の対価は削らない。それでも不足した。

返済は、追加九拠点の導入代金の残りと、十二拠点の継続保守を中心に計画していた。まだ取っていない全国展開は入れなかった。理恵と作った低めの売上の場合も示すと、黒崎は春の三百万円を赤で囲んだ。

航が資金表を開き、黒崎が先に借りた金額の欄へ赤ペンで丸を付ける。給与と育成の時間を守る追加融資の相談が続いている。
借りるのは、必要な時間を誰かからただでもらわないため。

「これと合わせて五百だ。君は、金で時間を買ってる」

「必要な時間を、ただでもらわないためです」

言ってから、きれいな返事をしすぎたと思った。金利まで含めた表を見ると、胃が縮んだ。黒崎が断れば、再び日程と受注を減らす相談をしなければならない。

会社へ戻ったあと、小池と阿部にも、報告を読んでもらった。

小池は、昨日の自分の説明に線を引いた。どの版を持っていくかの質問はした。違う版の内容を自分で並べて確認するところまではできなかった。阿部も、回収するときに最初の一台を待たせたことを足した。

「ここまで書くと、次も任せてもらえますか」

阿部が聞いた。

航は、絶対に大丈夫と答えそうになった。客がどう受け取るかは、代表にも決められない。

「次の説明には俺も出る。何を変えたかを、一緒に話す。二人だけが確認していなかったことにはしない」

小池は報告の控えが欲しいと言った。もし現場で自分の説明が違うと言われたら、どこまで会社が伝えたか確かめたい。航は二人が確かめた部分を補足して発注元へ送り、提出した日付を入れた写しを印刷した。

小池が報告書の控えを求め、阿部とともに、自分たちの質問まで残されているか確かめる。
次に立つ現場へ、持っていく説明。

二人は礼を言ったが、元気な声ではなかった。守ってもらったという言葉で、失敗した朝を簡単に終わらせたい人たちではなかった。

返事を待つ二日、航は会社の金を何度も確かめた。二百万円が入る前に、入ったことにして約束するわけにはいかない。確保した改善の日は動かさず、後の支払日を理恵と一つずつ見る。

未入金の連絡を受けた百舎の事務所で、理恵と航が机の入出金予定表を見比べる。入金の一行が空き、その下には給与や家賃の支払予定が残る。
入るはずの代金がなくなっても、支払日は残る。

理恵は、一度借りたから次も借りられると思っていなかった。先方に待ってもらう場合、誰がいつまでに連絡するかを横へ書いた。航はその表へ、借りられなかった場合に縮める仕事も入れた。黒崎の返事を祈るだけの二日にはしなかった。

黒崎は二日かけて契約と保守の見通しを確かめ、追加二百万円を貸すと答えた。この分も年六パーセント、入金から一年は元金を据え置き、その後三年で返す。春の条件は変えなかった。

追加契約の署名の前、航は月の利息が合わせて二万五千円になるのを見た。翌年四月には初回分の元金返済が始まり、十月には追加分も始まる。二百万円が振り込まれれば、今日の不足は消える。その先の表は、今より重くなった。

航はペンを持ったまま、社員の練習日を見た。勤務外の自主練習ということにすれば、昼は別の受注へ使え、借りる額を減らせるかもしれない。その仕事の費用は帳簿から消え、帰る人の疲れとして残る。

署名した。代表として引き受ける金を増やすのは、皆にもう一晩働いてもらうより、怖くない決定ではなかった。

「君が今、私を必要としていることは覚えておきなさい」

航は礼を言った。覚えたくないことほど忘れられない。

金が入った日の午後、小池と阿部が新版の表を持ってきた。印刷時刻が大きくなり、古い紙を外したかを確かめる欄もあった。航は受け取りかけて、手を止めた。

「今の範囲なら、二人で確かめて出してください。使っていいか分からなければ、止めてから知らせていい。金額や納期を変える相談は、俺が受けます」

小池は、先方が怒ったら、と聞いた。

「怒ったことも教えて。止めた判断を取り消して、先に使わせることはしない」

阿部が手順表を脇へ抱えた。二人はすぐには動かなかった。任せるという言葉を、前にも聞いたからだった。

次の説明の前、阿部は一か所を未確認にしたまま持ってきた。以前なら航の返事を待ち、表を全部止めていただろう。今回は、確認できた部分だけ使い、そこは現場へ尋ねる、と自分で決めていた。

「止めたところは、使い始める日が遅れます」

阿部が言った。

「それも先方へ伝えよう。納期と費用の条件は、俺から話す」

航は未確認の印を消さなかった。阿部はその返事を聞いてから、小池と紙を揃えた。

阿部が未確認の印を残した表を持ち、小池と紙を揃える。航は納期と費用の相談を引き受ける。
止めたところを、消さずに出す。

その日は、時間までに全部を終えられなかった。次に尋ねる相手と日を決め、勤務を終えた。二人が鞄を持って帰るあと、航は未確認の残る表を見た。会社が良くなったからすべて緑になるわけではない。終わっていないものを見える所へ残し、二人はそれを家へ持ち帰らずに済んだ。

夕方、二人が送った説明を航は読んだ。見出しを逆にしたくなった。読めないわけではないと分かるまで、赤ペンの蓋を開けていた。

会社の口座には金が増えた。航の自由が増えたわけではなかった。それでも、小池が鞄を持って階段を下りる音を聞いたとき、その金を使ったことを後悔はしなかった。

この章の感想を残す

心が動いたところ、立ち止まったところ。自由に書き留められます。メモはこのブラウザにだけ保存されます。

入力すると自動保存されます。

草稿へのご感想はメモを書き出してお渡しください。この画面からの送信はありません。

目次

TRUE · 鍵を置く場所

  1. 01第一章|まだ温かい鍵
  2. 02第二章|七分と、その先
  3. 03第三章|十一月の最後の日
  4. 04第四章|折り目のない紙
  5. 05第五章|誰かの残り時間
  6. 06第六章|パン屋の閉まる時刻
  7. 07第七章|港までの箱
  8. 08第八章|二本目のドライバー
  9. 09第九章|白く塗られた名前
  10. 10第十章|向かいの席の人
  11. 11第十一章|取れなかった春
  12. 12第十二章|空いたままの席
  13. 13第十三章|手の届かない昼
  14. 14第十四章|水曜の留守番
  15. 15第十五章|鍵を置く場所
この物語の表紙へ

表示設定

文字の大きさ
背景色

設定と読書位置は、このブラウザに保存されます。