看板のない朝08 / 17

第七章ここから止める費用

十一月の半ば、航と修司は、黒崎の会社へ行った。

完成までに必要な日数を数え直し、終えた仕事と残る仕事を分けて持っていった。十二拠点すべてがそろう前でも、導入を終えた分を確認して代金の一部を払ってもらえないか。完成まで待っていては、その前に必要な支払いができない。黒崎は水原に連絡し、翌日の会議を入れた。

「なぜここまで増えた。二百万を入れたときの予定から、何が変わった」

修司が資料を開いた。

荷物の数を同じように書いていても、数える単位が違う。空の箱を翌日に戻す記録が、出荷とは別の紙にある。情報を一つにすれば済むと思っていたが、誰がいつ判断するかを一つずつ確かめる必要があった。

「機能を欲張ったのか」

「それも止めました。でも、止めていい追加と、止めると普通に荷物が出なくなる部分を、最初に分けきれてませんでした」

修司は、机の端を見た。

「自分なら分かるつもりでした」

黒崎は、貸付の六百万円という枠を指でなぞった。

「あと百万も、出せば残るわけじゃないな」

航は、今の受注だけでは返せる見込みを示せない、と答えた。黒崎は二百万円を出したときの約束を変えず、追加融資は断った。借金を増やせば助かる時期は、すでに過ぎていた。

「だが、会社の箱を残すやり方ならある」

黒崎は別の紙に、人件費を書き出した。岡野のAIと共通処理で、確かに短くなった作業はある。説明書をまとめる手間も、帳票の整理も減っていた。

「小池と阿部は切る。残る説明は録画にする。理恵の仕事も外へ出せる。次に修司が高くなったら、そこも考える。空いた時間を休みにしていては返せん」

修司は紙を見た。自分の前で自分の値段が引かれるのを、初めて聞く顔だった。

黒崎の会社の会議机で、黒崎が人件費の表の数行へ線を引く。航と修司がその紙を見ている。
人の名前が、減らせる費用へ変わる。

航には、三人分の支出がなくなった表が見えた。新しく採った二人と、四月から期日を言い直してきた理恵。岡野の改善でできた余地を使えば、表の最後は少しだけ上がる。

三人の名を外した紙へ、航は手を伸ばした。会社という名前が残れば、後で採り直せるかもしれない。いまの社員でなくても、仕組みと客が残れば、自分はまた誰かを早く帰せる。そこまで考えた。

能力不足として社員を切る案へ、航の手が一度伸びる。
軽くなる列へ、戻ることもできた。

紙の上では、小池が現場で説明に立つ日も、阿部が設定を確かめる日も空白になっていた。消えた給与の代わりに、誰がその日を受け持つかは書かれていない。

航は小池の手順表を思い出した。初めての質問に備え、余白へ自分の答えを書いていた。阿部は子どもの迎えに行くため、現場から戻る時刻を確かめていた。理恵は、支払えますかと聞く側だけでなく、支払われる給与で暮らす側でもあった。

会社を失えば、その三人だけでなく全員に次の仕事を探してもらうことになる。残すと言うだけでは、来春の給与を出せない。黒崎の案を断る前にも、その事実から目をそらすことはできなかった。

「それで残る導入は、誰がやるんですか」

「客に覚えてもらう。全部、君らの仕事にするな」

「そこまで説明すると、契約したのは僕です。まだ二人とも、教わっている途中です」

航は名前の上に引かれた線を見た。二人を残すと言ったあとで、会社ごと職を失わせるかもしれない。その未来があるから、目の前の線を消すだけで誰かを守れた気にはなれなかった。

「社員を減らして、引き受けた説明まで無かったことにはできません。続けられないなら、どこまで終わらせて閉じるかを話したい」

黒崎は紙を航へ寄せた。

「ここを潰して、次の職場まで良い会社だと約束できるか」

できない、と航は答えた。

「僕の見積もりの間違いを、二人が役に立たないという話にはしません」

航は名前を消した紙を、署名せずに黒崎へ戻した。

「今、約束した仕事を終える範囲と、払うものを出し直します。会社を残せる数字でなくても、出します」

言えば一つの不正は断れた。その言葉だけで、全員の来月は埋まらなかった。修司は横で紙を受け取り、残る説明の日を数え始めた。航も表を開いた。三人を切らなかった立派な人間として帰る日には、できなかった。

小池がまだ一人で全部を説明できないことが、自分の責任として残った。守るために採った人へ、働き続けられる会社を用意できなかった責任も残った。

黒崎は人件費の紙を閉じた。黙ったまま電話帳を開き、途中の仕事を別の会社へ引き受けてもらう案を作り始めた。切り捨てる案を断った罰として、動くのをやめる人ではなかった。自分の出資も貸付も、この会社の後始末につながっている。

黒崎が相談した別の開発会社の担当者は、百舎へ来てくれた。

何が必要かを調べ、引き受けられる範囲を示した。彼らが途中から覚えるための時間が要った。既に動いている拠点の対応もある。百舎が手を引けば、百舎の給与が即座に要らなくなるわけでも、借りた部屋をその日に返せるわけでもなかった。

縮めるにも、金が要った。

水原は、代金のうち完成前に支払う分を増やす案を社内へ持ち帰った。一部は認められた。今は別の用途へ回す予定だった金を用意するので、予定していた倉庫の修繕が遅れることになった。

百舎には当面の金が入る。ただし、早く受け取る分は最後に受け取る代金から減る。調査や手直しで増えた費用そのものを、前倒しの入金だけで取り戻せるわけではなかった。

「これで足りますか」

水原は聞いた。

航は、一瞬頷きそうになった。

感謝を示すには、助かったと言うべき気がした。

理恵が隣で、紙に指を置いた。

「今月は越せます。ただ、最後までの不足は残ります」

航はそのとおりだと言った。

理恵が資金繰り表の不足を指し、航が水原へ完成までの費用を説明している。
今月を越えても、残る不足はある。

水原は椅子に背を預けた。

「現場には、いつ切り替えると伝えればいいんですか。新しい方法を試しているところも、古い方法のまま待っているところもあるんです」

試す日だけ新しい画面を使い、翌日は古い表に戻す拠点もあった。正式に切り替える日が決まらなければ、担当者の配置も、説明のために人を集める日も決められない。

百舎が頑張ればすべての人の負担が減る、という図は、もうどこにもなかった。

黒崎は、完成と引継ぎの調整に、自分の会社の担当者を出すと言った。理恵はまず、その会社に頼む仕事と費用を確かめた。黒崎個人への借入五百万円と、彼が持つ株式二割は、別の話として記録した。

何度かの相談で、残る仕事を区切り直した。百舎が十二拠点への導入と、普段の作業の切り替えを終える。先ほど相談した会社には、完成した仕組みの保守を引き受けてもらう。そのために、百舎は画面や処理の資料だけでなく、各拠点に何を説明し、どんな問い合わせが残っているかも渡す。

そこまでの費用を、誰が、いつ負担するかも整理した。顧客の追加負担も、黒崎の会社が引き受ける分もあった。これから完成と引継ぎをするために必要な金と、既に発生してまだ払えていない金を、理恵は分けて表にした。

残る仕事を終えるための相談は進んだ。水原は、保守だけを百舎に残す案には同意しなかった。

「今度、予定が危なくなったとき、早めに知れる会社へ任せたいんです」

最初に約束した金額を超えたことだけが、保守を失う理由ではなかった。航は、自分が消した二行の報告を、水原へ渡した。知らずに約束した範囲と、知ったあとにも知らせなかった期間を、分けて説明した。

既に増えた費用が消えるわけではない。将来の保守収入を失ったあと、未払いと五百万円の借入を抱えて百舎を続けられる見通しは立たなかった。黒崎の出資を返せば解決するという話でもなかった。株にした二百万円は、返済日を待つ金ではない。その価値を失わせることについても、航は株主へ説明しなければならなかった。

十一月、協議を重ねたあとの金曜に、理恵はその表を全員へ渡した。航は、九月に全体への影響を知りながら、顧客への報告を待ったことも話した。

「閉じる可能性を含めて相談を進めます」

航は言った。

岡野は、共通部分の開発はどこまで残りますか、と聞いた。小池は、現場で私たちは何と説明すればいいですか、と続けた。二人とも、会社が危ないという話は分かっていた。それだけでは翌日の仕事を決められなかった。

航は、まだ決まっていない、と答えた。そう言うと、そのまま終えたくなった。終えれば皆は黙り、自分が知らないことをもう一度尋ねられずに済む。

理恵が表の端へ次の相談日を書いた。航はその日までに、続ける仕事と引き受け先へ渡す仕事を知らせると約束した。決まらなければ、何が残っているかを話す。決まるまで返事をしない、という約束にはしなかった。

阿部が紙を裏返した。裏には何もなかった。

「来月の予定、家で決めないといけないので。決まったところからでいいです」

航は手帳へ書いた。

仕事を完成させる方法の横に、皆がここを離れるための話を書く場所を作った。

会議のあと、阿部は家へ電話をかけた。来月の迎えは、まだ今の予定で考えてほしい。変わると分かったら先に伝える。自分が言われたとおりの文を、そのまま繰り返す前に、次に会社から説明を受ける日も伝えた。

廊下から、明日と家の予定を相談する阿部。
会社の明日は、家の明日でもある。

小池は帰りの電車で求人を開いた。今の給与より低いもの、仕事の時間が違うもの、経験をもう一年求めるもの。閉じるかもしれないという一言は、夜になると、その違いを一つずつ選ぶ話になった。

帰りの電車で、条件の異なる求人を一つずつ読む小池。
分からないままでも、探す日は必要だった。

翌朝、二人はいつもの時刻に来た。客への説明に使う紙も、確認する設定もあった。航は彼らの普通の声を聞き、昨夜の話が小さかったと思わないよう、机へ次の相談日を置いた。

この章の感想を残す

心が動いたところ、立ち止まったところ。自由に書き留められます。メモはこのブラウザにだけ保存されます。

入力すると自動保存されます。

草稿へのご感想はメモを書き出してお渡しください。この画面からの送信はありません。

目次

BAD · 看板のない朝

  1. 01序章|折り目のある紙
  2. 02第一章|三つの青
  3. 03第二章|六時の店
  4. 04第三章|同じに見えた九つ
  5. 05第四章|冷蔵庫の裏
  6. 06第五章|渡せる時間
  7. 07第六章|椅子の代金
  8. 08第七章|ここから止める費用
  9. 09第八章|向こうの机
  10. 10第九章|待つ人の順番
  11. 11第十章|十一月三十日
  12. 12第十一章|完成するまでの夜
  13. 13第十二章|六時の写真
  14. 14第十三章|百舎御中
  15. 15第十四章|取りに来る人
  16. 16第十五章|壁の四角
  17. 17終章|看板のない朝
この物語の表紙へ

表示設定

文字の大きさ
背景色

設定と読書位置は、このブラウザに保存されます。