すべての灯り12 / 16

第十一章一時間の用事

三月の最初の水曜日、修司から連絡が来た。

久しぶりに会えないか、という文ではなかった。航が発注元へ出した体制変更の説明について、訂正を求める文だった。日付と該当箇所があり、四月の完了報告を承認したのは誰か、と書かれていた。

航は最初の二行を読んだところで、携帯電話を伏せた。

全国の第一期は、もう切り替えに入る。いま、その話を持ってくるのかと思った。解雇を知らせる前には、修司の顔を思い浮かべて何度も表を開き直した。今日は通知を閉じ、先に試験の日付を確かめた。

三月末までに六拠点を終える。その予定は変えたくなかった。

昼になって電話をかけた。修司は土曜の昼なら一時間あると言った。会えば、書いた文より柔らかく話せるだろう。航は店を決め、自分の予定へ入れた。

*

修司がその説明を見たのは、二日前の月曜だった。

「環」の発注元にいた担当者が、近くの工場の保守を紹介してくれることになっていた。工場へ行く前に、受け持てる範囲を話す約束だった。

修司は古い仕事の画面を、顧客の情報が見えない形で説明できるようにしていた。壊れたあとで呼ばれるだけでなく、同じ不具合を繰り返さないために何を見るか。訓練所の二日と重ならない日に、現場へ行ける。その予定も書いた。

担当者は資料を受け取ったが、なかなか最初の頁を開かなかった。

修司が工場の保守の紹介を相談する担当者へ、自分が担った導入と責任の記録を説明する。紙を持つ修司とメモを取る相手。信用に疑いが残り、確定した採用祝いにしない。
収入だけでなく、仕事の信用が必要だった。

「先に、これを聞いておきたいんです」

出されたのは、百舎の体制変更の説明だった。旧担当者の確認不足を、担当交代と共通処理の整備で解消した、と書いてあった。

「南の返品の件は、倉田さんが確認していなかったということですか」

修司は文を読み、もう一度読んだ。

「未確認と書いて、報告しています。完了だとは言っていません」

「百舎さんの説明と、違うんですね」

「違います」

相手は困った顔をした。修司が声を強めたからではなかった。これから別の工場へ、自分が良いと思う人を紹介する。その人の元の会社が、確認不足を担当交代で解消したと言っている。

修司は四月の表と、事故のあとに提出を求めた報告について説明した。担当者は知らなかった。彼が受け取っていたのは、代表名で出された百舎の文書だった。

「こちらで、どちらが正しいかを判断するのは難しいです。いったん紹介は見送らせてください」

修司は反論の最初の一語で止まった。

この人に、自分を信じろと頼んでも足りない。自分に仕事を任せるために、百舎の代表の説明を否定してほしいと頼むことになる。

「訂正を求めます。確認してもらえたら、そのときはもう一度、話を聞いてもらえますか」

担当者は頷いた。仕事が決まったのではなかった。再び話す余地があるというだけだった。

持ってきた説明資料は、半分も開かないまま鞄へ戻した。

帰りの電車で、修司は家計の表を見た。訓練所の収入を先に入れる癖がついていた。週二日の仕事は続いている。生徒が作ったものが動くと嬉しい。もう一日増やせないかと尋ねたが、いまは担当する実習がなかった。

足りない分は、退職に伴う支払いと蓄えから出していた。家賃を払う日は変わらない。食費を減らしても、足りない月が足りる月にはならなかった。

工場の保守が取れれば、減っていく残高だけを毎月確かめずに済む。まだ契約してもいない金を、確定した収入として入れたことはない。それでも、次の月の欄へ試しに足した数字は覚えていた。

その数字を消した。

別の仕事への応募も続けた。創業から導入を持っていたなら、なぜ今その会社を離れたのかと聞かれる。人を教える実習に移ったことだけを話せば、説明は簡単だった。けれど、自分が望んで席を譲ったとは言えなかった。

雇用を終えると通知された。理由には異議がある。

そう答えるたび、相手は少し身を引いた。揉めている人間を引き受けるかどうかも、相手には判断の一つだった。

自分が働いた四年間を説明しに行き、その四年間が終わった事情を長く話す。どこまで話せば、仕事ができる人間に見えるのか、修司にはまだ分からなかった。

家へ戻ると、訂正を求める文を作った。

最初に、こんなことをするのか、と書いた。自分の文を読み、削除した。怒りが間違っていたからではない。航が気持ちの問題として受け取り、悪かったとだけ返したら、紹介する人の手元の説明は一字も変わらない。

提出の日付、誤っている箇所、求める訂正を順に書いた。

修司が欲しかったのは、航がつらそうにする顔ではなかった。確認不足を理由に交代させられた人間として、次の現場へ紹介される状態を変えてほしかった。

翌日読み直し、水曜の朝に送った。

*

土曜、駅前の喫茶店へ行くと、修司は先に来ていた。工具箱はなく、薄い鞄と、いつもと違う上着だった。航は元気かと聞いた。

「朝が早い」

修司は答えた。職業訓練所の実習前に部品をそろえる。足りないと、生徒が自分のやり方が間違っていると思う。だから最初に確かめる。

始まったあとは、手を出さず待つ。一つの接続に十分かかる日もある。

「俺がやれば、すぐ終わるんだけどな」

「向いてると思うよ」

航は言った。修司はそれには答えなかった。

コーヒーへ砂糖を入れた。百舎では入れていなかったことに、航は気づいた。

駅前の喫茶店で、水のコップを持つ航と、砂糖を入れたコーヒーの前に座る修司が、向かい合って話す。
喫茶の席で、向かい合う。

修司は鞄から紙を出した。全国契約の体制変更説明だった。旧担当者の確認不足という文に、線が引かれていた。

「この先方から、近くの工場の保守を紹介してもらう話があった。いったん見送ると言われた」

「それは、うちの説明だけが理由なのか」

口にしてから、相手の顔を見た。疑う言葉が、確かめる言葉より先に出ていた。

修司は紙を押さえた。

「この文は何かと聞かれた。確認してなかった人を紹介していいのか、判断できないと言われた。だから、まずこれを直してほしい」

「そこまで、言われたのか」

「今、話しただろ」

修司は言い直さなかった。航は水を飲んだ。

相手が話しているのは、去年の気持ちではなかった。今月、受けられるはずだった仕事が止まっている。十二月分までの給与や、退職に伴う金を払ったことでは、その文は消えなかった。

「訓練所のほかには」

「探してる。週二日じゃ足りないから。そこで働けてるから大丈夫、って話にはしないでくれ」

航は頷いた。そう言うつもりだった自分に、気づいた。

「悪かった。お前のせいだと全部言うつもりじゃ」

「全部じゃないなら、何を俺のせいにした」

修司の声が上がった。近くの席で、スプーンが止まった。彼はそちらを見て、顔を紙へ戻した。

「俺は、足りないところを残した。誰かが見てないって分かるように。それを埋めたことにしたのは、俺じゃない」

最後の言葉が、少しかすれた。修司は喉を鳴らし、コーヒーを飲もうとしてやめた。

店の奥で皿が重なった。

修司は、四月に未確認と書いた表の写しも出した。角に二度折った線があった。現場で鞄へ入れやすい大きさにした紙だった。

喫茶店の卓上で、修司が折り目の残る未確認表の写しを差し出し、航はその紙を見ている。
折り目のある紙は、誰が知っていたかを残していた。

「調査は終わってないと言った。事故のあとも、こちらの不備だと出そうと言った。お前が完了で出し、お前が報告を変えた」

「分かってる」

「だったら、それを書いてくれ」

修司は紙を航の側へ向けた。

未確認という青い字の横に、航が見た日付があった。忘れた話ではない。見てから完了で送った。六月には修司の報告を使わず、運用上の混乱という別の報告を自分で作った。

何を書くべきか、航はすぐに分かった。訂正文の一行が、頭に浮かんだ。

「代表が未確認を承知で完了報告を承認した。旧担当者は未確認を指摘し、事故後も訂正を求めた」

そう書いて提出先へ送る。一枚の説明についていえば、できることはそれだけだった。

そのあとで発注元へ呼ばれ、なぜ虚偽の報告をしたかを答える。秋に調査が止まった理由まで聞かれるかもしれない。走り始めた六拠点を、止めずに説明できる保証はなかった。

航は携帯電話へ手を伸ばした。提出先の担当者の名前は入っている。この場で、体制変更の説明に誤りがあり、訂正を送ると知らせられた。

修司がその手を見た。

航は携帯電話を机に置かず、ポケットへ戻した。

「第一期が終われば、落ち着いて話せる。今は六拠点が」

「俺の仕事は、今、決まらないんだよ」

修司は背もたれへ体を預けず、前へ身を寄せた。

喫茶店で修司が折り目の記録を前へ置き、航へ体を寄せて自分の仕事は今も待てないと伝える。向かい合う席、砂糖を入れたコーヒーと水。修司自身の顔と姿勢を中心に、家賃や仕事は待たないことを要求する。
自分の仕事は、今も待てない。

「今月の予定を空けて、工場のことを調べて、話をしに行った。その席でこれを出された。お前の仕事が終わるまで、俺の仕事も家賃も待つと思ってるのか」

航は目を伏せた。

「ここで全部認めたら、今いる社員にまで影響する」

「俺のせいにしたままなら、俺に影響する」

そこで会話が止まった。修司は紙を引き戻さなかった。

航は全国の契約なら、修司へ外注できる仕事があると言いかけた。受けてくれれば損を埋められる。説明の訂正を急がずに済む。そこまで考え、修司に見られているのに気づいた。

「百舎の仕事を渡すから、待てって話にはしないでくれ」

「そういうつもりじゃない」

実際に、その話をしかけていた。

修司は提出先へ訂正を出し、その写しを自分にも送ってほしいと言った。解雇に納得したことも、説明を認めたこともない。これからの対応は、相談している人とも考えるという。

「ここで話して済むなら、それがいいだろう」

航は言った。

修司は口を開き、いったん閉じた。

「何が済むんだ」

声はもう大きくなかった。

「俺がお前に怒ってる話だけ、済むのか。俺がここで、もういいよって言えば、紹介する人の手元には確認不足の説明が残る。分かるだろ。それを直してほしくて、来たんだよ」

修司は一時間しかないと言っていた。航はそのあいだに、昔の仲間と会った話へ戻せると思っていた。仕事の文書を直すという用事のほうを、横へ置こうとしていた。

航は水のグラスを離した。

「今、提出先へ訂正文は出さない。第一期を止める危険は、取れない」

言ったあと、修司が紙を見下ろした。そこで、やはり出す、と言い直せた。自分の承認した報告が誤りで、目の前の人間に責任はない。それを知らせるほうが先だと、口にできた。

航は続けた。

「会社を続けるための判断だ。お前も、全体の事情は分かっているはずだ」

修司は顔を上げた。

「俺が困ってることは、その全体に入らないんだな」

航は答えなかった。

修司は二枚を揃えた。紙の端がうまく合わず、二度直した。

「待つことには同意しない。今日の答えも、文でくれ」

一時間が近づいていた。修司は訓練所へ行くと言って立った。航が支払おうとすると、自分の分を置いた。

改札まで一緒に歩いた。以前なら現場への道で話したのと同じ距離だった。猫のステッカーは工具箱に貼ったままか、航は聞きたかった。それを聞けば、仕事の外にも残ったものがあると確かめられる。

聞く前に、修司が立ち止まった。

「送ったら、届いたとだけ返してくれ。返事を待ってるのか、読んでないのかまで、俺が考えなくていいように」

航は分かったと答えた。

修司は改札を通った。一度も振り向かなかった。

*

午後の実習で、修司は生徒の手が止まるのを待った。

接続の位置は合っていた。確かめる順番だけ、途中を飛ばしている。間違っていると先に言わず、どこまで見たか尋ねた。生徒は一つずつ指を置き、飛ばしたところへ戻った。

夕方、その装置は動いた。修司は隣で見ていた。生徒が小さく両手を上げ、すぐ下ろした。

職業訓練所で修司が実習の生徒と作業台を見る。生徒が動いた画面を見て小さく両手を上げ、すぐ下ろす。修司は嬉しそうに確認する。百舎の仕事ではなく本人の新しい仕事。
動いたとき、教える人も嬉しかった。

「今のところ、自分で直せたな」

修司が言うと、もう一度やってよいかと聞かれた。もちろんと答え、片づけの時間を少し後ろへずらした。

ここで役に立てることはあった。航に向いていると言われたからではなく、自分がしたい仕事だった。

家へ戻り、靴を脱いでから、鞄を持ったまま玄関に座った。

昼の会話を思い出すと、今ごろ声が震えた。もっと短く、もっと落ち着いて話せば、航は聞いただろうか。いや、書く内容は分かっていた。自分の確認不足という一文を直せばいいのだと、あの顔は分かっていた。

説明の仕方を変えればよかったという考えまで、引き受けそうになった。

「違うだろ」

一人で言った。声にしたら、少し涙が出た。

百舎へ戻してほしいと頼んだのではない。新しい仕事を探せるよう、していないことをしたと言うのをやめてほしい。そのために、四年間一緒に働いた相手へ、日付を揃え、証拠を持って、一時間の用事として会いに行った。

修司は顔を手で拭いた。泣いたあとも、保守の紹介は保留のままだった。

喫茶店のあと修司が自宅の机で顔を手で拭く。仕事の相談へ返す紙と携帯はまだ机にあり、涙のあとも生活を続ける。大げさな崩壊ではなく普通の一人の夜。
泣いたあとも、返す連絡があった。

鞄を机へ置き、相談している相手へ今日の回答を伝えた。自分の記憶だけにしないため、航の言葉をまだ覚えているうちに書いた。紹介を保留した担当者にも、訂正を求めていることと、まだ出してもらえていないことを短く知らせた。

それから実習の記録をつけた。今日動いた装置と、次に生徒が自分で確かめるところを書いた。

濃い青の湯呑みへ茶を注ぐ。新聞紙の包みを解いて以来、家で使っていた。自分が選んだ色だった。捨てたいとは思わなかった。

翌週の空いた日に、もう一つ面談の予定を入れた。

*

喫茶店を出た土曜、航は会社へ向かった。階段で、謝った、と心の中で確かめた。

会うこと自体を断らなかった。訓練所の話も聞いた。外注できる仕事を考えた。そう数えると、冷酷なだけの対応ではなかったと言えた。

修司が求めた一つだけは、断った。

机へ戻ると岡野の試験結果が届いていた。すべての問題に担当と日付がついている。航は承認を返した。こちらには今日返す意味があり、返せば仕事が進んだ。

修司へ書く返事の欄も開いた。

本日は時間をありがとう。

その文の下へ、現時点では訂正を出さない、と入れた。自分が喫茶店で言ったことだった。文書にすれば、拒んだ人間の名と日付が残る。

航が会社に戻って訂正しない旨の文を画面へ入れる。修司からの具体的な依頼がそばに残る。罪悪感より自分の説明を守る操作を中心に。読める長文は描かない。
返事に残すはずの決定も、留めた。

航は下の一行を消した。

改めて連絡する、と書くと、まだ考えている人間の返事になる。修司は返答を文で求め、待つことに同意しないと言った。読んだかどうかまで考えさせないでくれとも言った。

航は受け取りました、とだけ送り、会社の予定へ戻った。

試験表では最後の二つが、確認待ちから完了へ変わっていた。航はその担当者へ礼を返した。返事を受けた社員から、来週もお願いします、と届いた。

修司の文書を訂正する日付だけは、空いたままにした。

誰もいなくなった百舎で、航の机の周りだけ灯りが残り、来月と翌々月の数字を考える航が一人座っている。
来月、その先の数字まで。
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目次

HELL · すべての灯り

  1. 01序章|お祝いだから
  2. 02第一章|動いている画面
  3. 03第二章|七分早い午後
  4. 04第三章|外へ続く道
  5. 05第四章|二つの青
  6. 06第五章|誰も困っていない
  7. 07第六章|三年後の席
  8. 08第七章|新しい椅子
  9. 09第八章|写真の外側
  10. 10第九章|机の高さ
  11. 11第十章|君に任せたい
  12. 12第十一章|一時間の用事
  13. 13第十二章|花を送る
  14. 14第十三章|会議の終わり
  15. 15第十四章|完全勝利
  16. 16終章|明日の欄
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