すべての灯り02 / 16

第一章動いている画面

四年目の四月、食品卸の配送管理を納めた翌日に、翌月の代金を払えないと連絡が来た。

電話の営業担当は、最初に何度も礼を言った。倉庫の人たちは助かった。本当に良いものを作ってもらった。そのあとで、会社が事業を止めることを告げた。いつ、いくらなら払えるかも答えられないという。

修司が処理を組み、画面と利用者向け手順を担当する成瀬澪が、作業員の使う順に配置を直した。百舎は完成までの給与や交通費を既に払っていた。不具合で検収を拒まれたのではない。納めた仕事の代金が入らなくなるのだった。

航は画面を見た。夜に入力された配送先が、朝の表へ正しく反映されていた。動作を確かめるほど足先が冷えた。

経理と日々の運営を担う高瀬理恵は、入金予定を空白にした。給与と家賃は、その下に残った。ほかの小さな仕事が予定どおり入っても、一か月ほど先から金が足りなかった。

未入金の連絡を受けた百舎の事務所で、理恵と航が机の入出金予定表を見比べる。入金の一行が空き、その下には給与や家賃の支払予定が残る。
入るはずの代金がなくなっても、支払日は残る。

「来週の給与は大丈夫です。その次を考えます」

澪が、自分の賞与はなくてもいいと言った。航は首を振った。誰より先に取り分を減らそうとする、その癖が嫌だった。そういうことをしなくていい場所を作ったつもりだった。

三十六歳の航には、何もないところから会社を始めたときより、失うものの輪郭がよく見えた。三十八歳の修司は電話する支払先を並べ、二十六歳の澪は問い合わせへ返事をしていた。四十四歳の理恵は、息子の学校から来た連絡を伏せて帳簿を開いた。

理恵が息子の学校の連絡を伏せて帳簿を開く。後方で修司は支払先を並べ、澪は問い合わせに返事をする。航は机の端でその仕事を見ている。全員現在の年齢。
払う先には、それぞれの生活がある。

翌日、五十八歳の黒崎が「環」を持ってきた。

事業を止める食品卸とは別の発注元が、三つの配送拠点をつなごうとしていた。同じ荷物の行き先を別々の表へ写し直し、変更を電話で伝え、夜に紙と画面を合わせ直している。それを一度の入力から引き継げるようにする仕事だった。

黒崎は紹介と条件調整をする。何が必要かを示し、検収して払うのは発注元。百舎は画面と配送表を作り、現地で説明する。試用と正式稼働は別で、動く画面を見せただけでは導入完了にならなかった。

契約案には、正規の着手金、三拠点の調査を完了した際の代金、拠点ごとの正式稼働後の代金が分けてあった。理恵が計算すると、着手金だけでは調査中の資金不足を埋められなかった。

航は修司と発注元へ行き、どの表を誰が最後に持つかを説明した。先方は試作と日程を確かめ、契約を結んだ。正規の着手金で調査を始めても、三拠点の条件がそろう前に、次の支払いが来る見込みだった。

黒崎は二つの紙を出した。

一枚は個人から百舎へ貸す三百万円の案だった。年六%、最初の一年は利息を払い、元金は据え置く。そのあと三年で分けて返す。最大六百万円までは検討できるが、追加には返せる計画が必要だった。創業の出資とは別の契約で、真帆の貯金も保証も入っていなかった。

「環がなくても貸す、とは言えない。だが、この仕事と今ある保守なら返せる。貸す代わりに私の持分を増やせという話でもない」

もう一枚は、調査工程の完了報告だった。

航は三拠点の表に目を落とした。川沿いの倉庫には昼間しか行っていない。南の拠点では夜便と返品の扱いをまだ聞けていなかった。修司の確認表にも、未確認、と赤く残っている。

「来月には終わるんだろう」

黒崎は言った。

「先に調査完了を出せば、その工程の分が入る。借金はしなくて済む」

「終わってないものを、終わったことにするんですか」

「そうだ。あとから追いつかせる」

黒崎は笑わなかった。見込みを書いてよい書類ではないことも、発注元が完了を信じて払うことも、航には分かった。

「三百を借りるほうでも、紹介は取り消さない」

二枚は並んだままだった。

航は借入の紙を持ち、ひと月の利息を指でなぞった。返す金を作るための仕事が、まだ終わっていない仕事の上に乗る。来年の自分にも、再来年の自分にも、その欄が残る。

利息は月に一万五千円だった。払えない金額ではない。元金を返し始めるまで一年ある。航は鞄から理恵の資金表を出し、正規の調査を終える予定の日まで、その金を置いた。来月の給与も家賃も払えた。

「借りれば、未確認のまま出す必要はないんですね」

「ない」

黒崎は即答した。

航は借入案の署名欄へペンを置いた。ここに名を書けば、明日、修司へそのまま説明できる。澪の賞与を断った言葉も、嘘にせずに済む。

航が借入契約の署名欄へペンを置いて手を止める。隣には未完了の調査表と、もう一つの完了報告。黒崎が向かいで静かに待つ。まだどちらも選んでいない。
借りれば、未確認のまま出さずに済む。

だが、最初の客の未入金がもう一度起きたら。来年も別の仕事が止まったら。三百万円は、今日の不運が去っても消えない。黒崎へ支払う日が、先の手帳に何年も続く。

会社を作ったとき、航は給与のために人が頭を下げなくてよい場所にしたかった。自分だけが下げるなら構わないと思っていたはずだった。署名欄を前にすると、その自分だけが、ひどく重かった。

完了報告のほうを引き寄せた。南の夜便という字を見た。夜に品物を受け取る人は、昼の人が確認したと思って表を使うだろう。自分が倉庫の事務員なら、調査済みと書かれた会社へ同じことを聞き直さない。

「試用中は、前の表も使ってもらいます」

「そこは君たちで決めることだ」

黒崎の返事は、二枚のどちらも選ばなかった。前の表を残しても、未完了が完了に変わるわけではない。航は報告の端を押さえた。紙が爪の下でへこんだ。

「今日は持ち帰ります」

そう言える時間があった。黒崎は時計も見なかった。航は借入案を裏返した。

「報告は、俺から出します」

黒崎は、分かった、と言った。

その晩、航は修司へ、調査工程分の請求を進める、と伝えた。修司は顔を上げた。

「南の夜便は、まだ見てない」

「確認は続ける。支払いだけ先に動かす」

「それ、先方にもそう言ったのか」

「まだ」

答えると、修司は自分の確認表を持ってきた。

「借りられるんだろう。俺が一緒に行って、調査の日程も説明する」

責める声ではなかった。そのほうが航にはつらかった。修司は、彼が止まるための理由をまだ増やそうとしていた。

「借りるのは簡単に言える。返すのは、この会社だ」

「この会社には俺もいるよ」

航は確認表を受け取った。修司の字で、聞く相手と時間が書いてあった。未確認の一つ一つに、確かめに行けば答える人がいる。終わっていないのは、彼らの仕事をまだ聞いていないからだった。

「今日は送るな。明日の朝、理恵さんも入れて考えよう」

航は頷かなかった。修司は帰る前に、紙を彼の机へ残した。

帰る前の修司が確認表を航の机へ残す。修司は怒鳴らず、まだ航が止まれると期待している。夜の小さな会社、航は紙から目を上げられない。
止まるための理由を、修司は残した。

一人になると、航は会社の代表名を入れた報告を開いた。三拠点の調査と現場確認を完了した、と書いてあった。その下に、現場条件を確認済みという欄があった。確認していない二つの夜が、その短い文でなくなっていた。

いったん未完了に書き換えた。送付文にも、残る調査の日程を入れた。この文なら修司に見せられる。これで出して、融資の紙へ名を書けばいい。

航は椅子を離れ、流しで水を飲んだ。食器棚に三つの湯呑みが並んでいた。戻って、来月の給与の総額を見た。数字の向こうに、理恵が伏せた学校の連絡と、澪が遠慮した賞与があった。

この一回だけ先に払ってもらう。調査は必ず終える。現場の人に損をさせなければ、最後には同じことになる。

同じではないと、修司の紙は言っていた。航はその紙を画面の横からどけた。

未完了と直した文を消し、完了に戻した。添付する前にもう一度開いた。訂正するなら、まだ一度の操作で済んだ。

航は送付先を確かめ、自分の名を確かめた。修司の名ではなかった。送信のボタンへ指を置いたあとも、手を離せた。

「終わらせるから」

誰もいない部屋で言い、押した。送信済みの時刻が出た。航はそれを見てから、机に残した二枚のうち、借入案だけを鞄へ戻した。

四月の夜、未確認項目の残る紙を横に置いて報告を送る航を、修司が離れた机から見ている。
未確認の表を見たあと、自分の名で送った。

翌週、その工程の代金が入った。新たな借入はなかった。来月の給与と家賃に届き、買うのを止めていた澪の作業用画面も注文できた。

「助かりました」

理恵の声に、航は頷いた。彼女には、代表が承認した完了報告と入金が渡っていた。未確認の表は修司の机に残っていた。

航は二つを重ねなかった。

修司は入金を聞いても、よかったな、とは言わなかった。未確認の表に次の訪問日を書き足した。朝の会社では、いつものように誰かが茶をいれ、問い合わせの電話が鳴った。航のしたことを知っている紙と、知らない人の朝が、同じ机の上で動いていた。

その午後、理恵は息子の学校へ折り返した。澪は届く画面の寸法を測った。金が入ったからできることだった。航はその二人を見て、間違えたという言葉を、必要だったという言葉へ少しだけ寄せた。

昼の会社で理恵が学校へ折り返しの電話をする。別の机では澪が画面の寸法を測る。入金で仕事と生活が動き、航がその二人を見ている。明るい平常の場面。
入った金で、できることが増えた。

真帆と連休に海へ行く約束を、電話で取り消した。彼女が修復した日誌を返す旅で、航は初めてその仕事を見るはずだった。

日誌は海で働いた人がつけたもので、遺族から工房へ預けられていた。真帆は破れた頁をつなぎ、返す前に見てほしいと言っていた。航の隣で写真を見せるだけでは伝わらない紙の厚さを、現地で一緒に触るつもりだった。

航は調査の遅れを取り戻したいと話した。正規に借りていれば社員と分担できた二日を、自分が今すぐ埋めなければならない二日にしていた。

「一日だけでも来られない?」

真帆が聞いた。

「落ち着いてから、ちゃんと行きたい」

今なら宿までの片道だけでも一緒に行けた。航は暦の空いた午後を見ながら、秋にはもっと楽になると続けた。

「私の予約だけ残せるか、宿に聞くね」

航は秋の話をしようとした。真帆は、今は決めなくていいと言った。

連休の朝、真帆は二人分買ってあった駅弁の予約を一つに変えた。日誌を入れた箱を抱えるため、航に持ってもらうはずだった鞄の中身を減らした。ホームへ着いてから、航へ写真を送ろうとしてやめた。返せるようになった本の話が、夫の仕事を待つ話になるのが、その朝は嫌だった。

真帆が一人で駅のホームに立つ。修復した日誌の箱を抱え、減らした荷物の鞄を持つ。携帯を送信せず下げる。航は不在。家庭の失った予定と彼女自身の納品を描く。
一人分に変えた、連休の朝。

日誌を受け取った遺族は、読めなくなったと思っていた頁をゆっくり開いた。真帆はその横で、ほどけやすい箇所の扱いを伝えた。航がいなくても彼女の仕事は届いた。一緒に見せたかった相手がいないことは、別に残った。

旅を断った晩、航は給与の完了通知をもう一度見た。

誰かが安心して眠れる夜を、自分が一つ作った。それは本当だった。その夜の下に置いた紙については、誰にも説明しなかった。

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目次

HELL · すべての灯り

  1. 01序章|お祝いだから
  2. 02第一章|動いている画面
  3. 03第二章|七分早い午後
  4. 04第三章|外へ続く道
  5. 05第四章|二つの青
  6. 06第五章|誰も困っていない
  7. 07第六章|三年後の席
  8. 08第七章|新しい椅子
  9. 09第八章|写真の外側
  10. 10第九章|机の高さ
  11. 11第十章|君に任せたい
  12. 12第十一章|一時間の用事
  13. 13第十二章|花を送る
  14. 14第十三章|会議の終わり
  15. 15第十四章|完全勝利
  16. 16終章|明日の欄
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